「600人」というプレッシャー@春日井 2023年11月20日
立て続けに失礼します🙇
今年はJICAから色々と要望があり、5回ほど説明会やら講演をしてます。
その中で、最もスケールがデカかったこと。
愛知県の春日井高校で、1・2年生600人の前で1時間、国際貢献の素晴らしさを伝えてほしい。
うぉぉぉぉぉぉぉお!!!
大規模&長時間!!!
今まで30人対象・20分くらいしかしてなかったので、いきなりスケールが変わった!
7月くらいから、担当の先生とちょくちょく打合せ。
とはいえ日頃の業務もあるので、あれよあれよと気付けば2週間前に。
アカン!
こんな時にアフリカ仕込みののんびりさが復活😭😭😭
毎晩スライド修正→模擬プレゼン→先生へお渡し→修正
仕事より丁重じゃねぇか?😂
そしてあっという間に本番当日。
勝川駅から歩くこと20分。
学校広すぎて、校門が分からずアタフタo(T△T=T△T)o
担当の先生・校長先生にもご挨拶。
いやー、学校に入るなんて久しぶり。
選挙投票で小学校に行くくらいしか無いしなー。
発表をする体育館。
めちゃキレイやん!
生徒たちがやってきて、先生の指示のもと椅子並べ。
いやー日本の高校生はテキパキしてて、時間も厳守。
そもそも先生がちゃんといる。
片やモザンビークは・・・😇
舞台に上がれないので、同じ床の高さでお話。
いや!600人もいると後列は顔すら見えん!!
(ってことは、後列の生徒さんも見えてなかったか?今更ながらごめんなさい🙇)
話し始めると、なかなか笑いが取れず苦戦。
30代中盤のオッサンがスベってないか、ヒヤヒヤヒヤヒヤヒヤヒヤヒヤヒヤ😭😭😭😭😭
でも、クイズを出して相談タイムを作ると和気あいあいとした様子。
おぉぉオッチャン安心したっぺぇ!!
(あ、これスベってますよね😂)
最後に質問タイム。
無言ならどうしようと不安だったが、思ってたより沢山の質問。
生徒さんはこの後先生からのお知らせがあるらしく、先においとま。
脱力感の中帰宅。
うーーーーーーーん、もっと動き回るべきだったかなー?
緊張でパソコンの横からあまり離れられなかった。
後日、担当の先生から、生徒さんたちの感想文をいただく。
全員白紙・罵詈雑言・つまらなかったとか書かれてたらどうしよーと不安のなか、目を通してみる。
すると、思ってたのとは違い、嬉しい言葉の数々。
「海外は怖いと思ってたけど、自分も行って経験を積もうと思った」
「海外に行く・教師になる。以前はどちからかを選ばなきゃいけなきと思ってたけど、両方叶えたくなった」
「外国語が伝わらない大変さに凄く共感。ペラペラじゃないから行くのが怖かったけど、話せなくても良い、相手とコミュニケーションをとるのが大切だと分かった」
「途上国=貧しい としか思ってなかった。でも写真を見て、自分が思い込みを持ってる・経験しなきゃ分からないことがある」
等々、嬉しい言葉を沢山いただきました(上記一部抜粋。他にも沢山の感想ありがと!)。
A4で30枚。
こんなに沢山の人から言葉をもらえるなんて、滅多に無いことだよなー。
生徒さんたちの人生や考えに少しでも役立てたなら、それは幸せなことや。
人生は一期一会。
大半の生徒さんとはなかなか会うことは無いだろうけど、もしまた話したい・聞いてみたいた思う生徒さんがいたら、教えてください。
このブログ経由でもいいし、高校の先生に相談していただいても良いです。
小さな質問でもお話でも、気にせずウェルカムです👍️
春日井高校の生徒さん・先生方、ありがとうございました!カニマンボー🙌
2023年7月か8月 JICA家族連絡会
相当ご無沙汰しております🙇
34歳サラリーマン真っ盛り(😭)のうめです!
仕事大量やー😂😂😂
最近JICAに関わることが多かったので、久しぶりにブログ書いてみることにしました!
8月(あれ?7月か?ボケ始めてる😂)になり、JICA中部から要請がありました。
現在派遣されているボランティアの家族向けに、実際ボランティアの活動や生活を伝えてほしい。ボランティアの実際の様子を伝えることで、ご家族の理解・安心に繋げたい。
なるほどなるほど。
自分自身も親の理解をなかなか得られなかったし、現地から伝えるのも難しいから、良いことだと思う。
あと、この要請をくれたのがボランティア同期の人だったので、喜んで受けることに。
講演時間は40分。
今まで20分用のパワポしかなかったので、写真漁って再構築。
帰国して3年たつと、色々とわすれてるなー💦💦
ご家族の方は40人くらいで、モザンビークに派遣されてる方は無し。
同期が司会担当。しかし各ご家族の挨拶が濃密で、時間が押しまくって顔面蒼白になる同期。
結果、40分話すハズが、持ち時間は15分に。
やべーーーーー!!!!😂😂😂😂😂
ってことで、巻きまくってお話。25分かかったけど、許してくれ👼
参加したご家族の方からは、
「子どもと離れているので、何だかんだ不安だった。でも、話を聞いて楽しそう・JICAのサポートがあることを聞いて安心できた。」
「家族の様子を知るため・差し入れを持って行きがてら派遣国へ行ってみたくなった。家族旅行の補助があるって知らなかったので参加して良かった。」
「ウメさんの料理クオリティに驚愕。それでも暮らせていたんだから、ウチの子も大丈夫そうです。」
うん、ワシの料理は人に勇気を与えるらしい。
(↓このクオリティから、今では食品会社で働くまでになりました。調理はしませんが😇)
話す準備は大変だったけど、自分の体験が驚き・発見・安心とかに繋がるのは嬉しい。
人の役に立てるのは喜びになる。
他にもJICAの募集説明会で話したり、春日井高校のキャリア形成の一環でお話もしました。
それはまた別の投稿にします🙇
世界の果てまでイッテQ! 2023.12.10
お久しぶりです🙇
投稿は短いですが、嬉しかったことが1つ。
なんと!
モザンビーク🇲🇿が!!!!
世界の果てまでイッテQ!で紹介されました!!!
はい、そんなけです😂
番組内でも人口や公用語やら、めちゃ基本的な情報から紹介されてた。
出演者の方々も、「モザンビークって聞いたことあるくらいだよねー」とのコメント。
そりゃ知らないですよね😂
ウンチクですが、日本に初めて来た黒人は「弥助」というモザンビーク人だったと言われています!
はい、以上でした😂
今までJICA説明会でお会いした方、春日井高校の皆さん見てくれてましたかねー?🤔
エッセイ受賞 2022.07.30(土)
相当ご無沙汰しております。
スキマ時間に、ふとブログ更新をしようと思いたちました。(まぁ、日頃スキマだらけなんですけども🤣)
久しぶりにこのアプリ開いたら、何と去年11月に同じ内容のブログを少し書いて、下書き保存していたことが判明。
半年分の思いを詰め込んだブログです!
(半年分のぐぅたらです( ・`д・´))
ひとまず近況から。
・会社:変わらず、桑名の給食関連会社
(同グループの会社に出向中)
・仕事:福祉食のマーケティング(WEBマーケを素人ながら勉強中)
・年齢:33歳になりました。ゾロ目。もうすぐ30中盤😭
・彼女:聞くなや!!😡😡(と言いつつ、できました🤭)
酒減
週4テニス
デート
英語とポルトガル勉強
という、そこそこ充実した日々を送っています💪
さてさて、そんな中、一つ嬉しい出来事がありました。
そう、受賞したんです🙌✨✨✨✨✨✨
「は?」
「いや、知らんがな」
「独り何ぬかしとんねん」
はい、きっとそう思われましたよね😭
今いる会社では、毎年WFP(国連世界食糧計画)に寄付をし、エッセイ応募をしています。
ということで私も昨年エッセイを書いたら、何といきなり受賞してしまいました。
まさかの❗( ̄□ ̄;)
最優秀賞ではなく佳作賞でしたが、2万通の中から選ばれるのは嬉しかったです(*´-`)
会社としても初受賞で、プレゼントとして日本酒&自由研修旅行権利をいただきました\(^^)/
コロナでなかなか行けないのが残念ですが😢
こちらが、佳作賞をいただいたエッセイです。良ければご一読ください🙇
あーモザンビーク懐かしい😢
同僚や教え子、ナマーシャの皆元気にしてるかなー?
2年以上たつけど、まだ一度も再会できてないのは寂しいわ😢
さて、エッセイの中で出てきた「ガンビア」という国。
アフリカの中でもかなり小さいらしく、国土は岐阜県と同じくらいの広さだそうです(確か)
そんな国のレストランが名古屋にあるというので、行ってみました!
African Restaurant Jollof Kitchenさん。
名古屋の中小田井にあります。
店内はアフリカの布で装飾されてて、懐かしい😌
Domodaという、ピーナッツバター、チキン、野菜の料理。
それに、お米ではなくクスクスでいただいてみる。
(クスクス:パスタと同じ小麦粉を、どうこうしたもの。 料理のことは聞かないでくれ!!( ;∀;)
辛くなく、日本人の口に合わせた料理。
でも、匂いとのんびりした雰囲気が懐かしかった(*´-`)
真ん中がシェフのジョロフさん。
日本に来て30年。
なんと、在日のガンビア国大使も勤められているとのこと。
東京オリンピックでは、選手入場にも参加してたらしい。
すげー!!!( ̄□ ̄;)
そんなレストランから刺激を受け、先ほどのエッセイを書いて受賞に至りました。
皆さんも、是非ガンビアレストランに行ってみてください( ´∀` )b
また気が向いたら書きまーす!
(半年引き伸ばさないようにします😭)
帰国から1年 2021.03.21(日)
ご無沙汰しております
(覚えてる人いないか(。>д<))
モザンビークでPCの先生してた、うめです!
帰国してからずっとブログを放置してましたが、帰国から丁度1年たったのでツラツラと書いてみました。
まぁ、まずは近況報告から。
- 仕事:三重の給食関連会社(11月~)
- 職種:新規事業立ち上げと運営
- 結婚:まだだけど?
- 彼女:いたら苦労してねぇわ
- 体重:聞くな!( ;∀;)
- 酒:毎日目の前でビールを飲むオヤジの誘惑に負けず、週2くらいで我慢中
日々仕事とテニス、時々酒という生活でございます。
6月には32歳かー。
・・・・あ、ヤベ。
これが哀愁?( ゚Å゚;)
さてさて、そんな哀愁はさておきこの1年でも振り返ってみますかね。
とりあえず嬉しかったこと。
外務省から感謝状いただきました!\(^-^)/
まぁ皆もらえるし、本来なら帰国してすぐもらえるんやけどね。
コロナでバタついてるから、もう貰えないと思ってた。
青年海外協力隊に参加して、色んな貴重な経験できた。
東京研修で人生初の一人暮らし。
二本松研修ではひたすらポルトガル語に苦戦(おまけに、研修始まる直前に手首に人生初のビビ)
皇太子殿下(今の天皇陛下)に人生初のご接見。
愛知の大村知事・名古屋の河村市長にも人生初対面。
そして人生で行くことはなかったであろうアフリカの、しかもモザンビークなんて情報も無い国でのボランティア活動。
そんな国に出国する直前に人生初の胃腸炎。
「手首のヒビといい、この胃腸炎といい、これは神の [行ってはならん] ってお告げなのか!?( ゚Å゚;)」
と一瞬ホンマに思った。
でも、出国当日の朝に急遽熱だけひいて、2年分の荷物を1時間でキャリーバッグに詰め込んで出国。
機内ではトイレをジャック。
よくあんな状態で出国したなー若かったなー(違うか)
フラフラな中24時間のフライトを経てたどり着いたモザンビークの空港。
・・・・って、この調子だと活動2年丸ごと振り返ってまう!(笑)
そんなモザンビークでのボランティアも、コロナで2020年3月に緊急帰国。
2年の活動が、1年9ヵ月で急遽打ち切り。
活動のクライマックスって時に急遽帰国が決まり、バタバタで気持ちの整理もつかずの帰国。
懐かしの生徒たち。
卒業式でも泣かない生徒たちが、まさかオレのお別れで泣いてくれるとは思わんかったなー。
最後に見た星空。
たまに名古屋でも夜空を見上げてみるけど、全然敵わない。
またこの星空、眺めたいなー。
帰国して2週間は自宅監禁。
自分は成田空港から直接家帰れたけど、他の国の隊員の一部は空港ルートの関係で東京のホテルに2週間缶詰めだったらしい。
運良かったー!(笑)
帰国して初の食事がこれ。
成田空港内の吉野家。
「水がセルフサービスでタダで飲める!」
「提供が早い!!!」
「紅生姜食べ放題!(オレ嫌いやけど)」
などなど、モザンビーク隊員で感動しながら食ってました(  ̄▽ ̄)
名古屋への新幹線内で早速日本酒!
これは大して感動しなかった。
まぁ、モザンビークでもたまに飲めたし( ・ω・)
名駅で両親と約1年ぶりの再会。
ロン毛になってても、ちゃんと見つけてくれた(  ̄▽ ̄)
久しぶりのコンビニ。
うぉぉぉぉ!!!!
品数豊富!!!!!
しかしその後は2週間自宅待機。
コロナの反応も無事なく、外出して真っ先に向かったのは・・・
そう、美容室。
約1年切らなかったので、肩につくまで伸びてた。
本当は帰国前にモザンビークの子にプレゼントする予定だったけど、そんな暇も無かった。
一応切った髪の毛は持ち帰ったけど・・・。
渡す予定無いしなー。そもそもどう保管したらいいんだ??(今はタンスに放置)
6月まではボランティア契約が残ってたので、外出できないしひたすら家の掃除。
お陰でキレイになったし、両親の若かりし頃の写真見つけたし、結果家のリフォームにも繋がったし(* ̄∇ ̄*)
あとは友達とご飯行ったり、前の会社に挨拶行ったり、ボランティア仲間と会ったり。
たまたまネットサーフィンしてたら、「カフェ モザンビーク」なるものを発見。
しかも、場所は愛知県清須市(信長生誕の地)。
日本に初めて来たアフリカ人はモザンビーク人の「弥助」という人で、信長に仕えていたらしい。
「信長の清須にカフェモザンビークなんて、こりゃ凄い運命だ!!」と一人ワクワクしながら訪問。
おー!!
日本でモザンビークなんて文言滅多に見ないので、何だか興奮。
さてはマスター、モザンビークに行ったことがあるんだなー?!
て思って話を聞いたら、違った。
梅「なんでモザンビークって店名にしたんですか?」
マスター「カフェって2文字の店名(例:カフェ チカ)が多くて、何か珍しい名前探してたんだ。そしたらお店開いた頃、モザンビークって国が独立したんだよ。だから。」
アハハハハハハハハ!
思ってもみない理由で爆笑してまった(  ̄▽ ̄)
メニューも喫茶店ぽいものばっかりやし、アフリカ感は全く無い。
折角なので、モザンビークのお札をプレゼント。
結局1回しか行ってないけど、マスターさん元気してるかなー?
帰国して唯一作ったご飯。
モザンビークでハマった、肉なし親子丼(親おらんやん)。
それを親に初ふるまい。
3人分なんて作ったことないからてんてこ舞い。
評価はそこそこでした( ;∀;)
そんなこんなで毎日を過ごしつつ、ボランティア契約期間も終了。
「フリーターになれることなんて、この先相当無い!」
と思い、7月からバイト3つ掛け持ち。
お盆限定でレゴランドでもバイト。
これが大変やった。
研修3日・エントランス勤務4日の予定
→研修3日終了後、ゲストが少ないからかエントランス勤務は1日だけと言われる
→→折角研修してもらったんだし、他の部署でもヘルプ志望して、ホテルのクローク担当
いやーこれが地獄だった。
屋根あるとはいえ、ホテル入口外の臨時クローク。
コロナ対策で手袋はめてるせいもあり灼熱。
しかも大行列。
ゲストいないからってエントランスのバイト削られたのに、その日は違った。
ゲストの切れ目がなくひたすら対応。
汗は手袋にたまっていき、指ふやけまくり。
モザンビークでも体験しなかったほどの水分不足で、倒れそうだった( ;∀;)
そんなレゴランドのバイト。
本業のエントランス勤務は、まさかの胃腸炎でお休み。
なんなんオレの胃腸は呪われてるんか?( ゚Å゚;)
胃腸炎の呪いを経て、9月から就活。
いやー履歴書手書じゃなくて良いとか、楽になったなー(* ̄∇ ̄*)
就活しつつ、フリーター期間を活かして旅行。
オヤジとの2人旅は、寝台列車で中国地方へ。
もうすぐ誕生日なので、お祝いどうしてほしいか聞いたら、またサンライズに乗りたいとのこと。
いや早いな!(笑)
オカンとの2人旅は新幹線で東北へ。
奥入瀬キレイやったなー。
ボランティアの同期にも会えたし(*´-`)
金はかかったけど、それぞれ初の二人旅は楽しかった!
就職は内定を5つほどいただき、11月から三重県の学校給食関連の会社に就職。
面接後に採用の方と名駅で飲み、ハシゴでバーへ。
「ぼくのオススメのバーなんです!」と意気揚々と地下へご案内。
→酔ってたせいか、まさかの脚滑らせて階段を滑り落ちていく私。
「あ、オレ内定取り消されるかも」と1人あたふた( ; ゚Д゚)
(※もちろん無事採用していただけました。)
ま、そんなこんなで11月から三重県まで通勤してます!
会社最寄り駅のホーム。
田舎だけど、モザンビークに行ったお陰でこんなの屁でもない(  ̄▽ ̄)
年末に友達がコロナの疑いがあったり、緊急事態宣言で1ヶ月くらい在宅だったりとコロナに振り回されてます。
会社ビジョンでも「日本の学校給食の技術を、世界の子どもたちへ」と掲げており、自分もその一助になりたいと思いました。
でも、まだまだ先の見えないコロナ。
ナマーシャにいた生徒たちは大丈夫かなー?
ナマーシャを離れて1年。
今でもFacebookで連絡をくれる生徒や同僚は、やっぱり可愛いし好きやなー。
一度で良いからナマーシャ行きたいし、皆に日本を案内したいなー。
教え子は小学校の先生になるはずだし、そんな教え子が教鞭をとる学校に、ウチの会社で学校給食作ってあげられたら素敵だなー。
もちろん、そもそも給食システム無いとか、資金が会社に無いとか、知識すら無いとか色々問題はあるけども。
日本でただ過ぎていく時間に、少しもの寂しさを覚えてまう。
やっぱモザンビーク楽しかったわ。
まぁ、新規事業のプロジェクトリーダーの役職にもついたし、頑張るさ!
あと毎月戦争体験の語り継ぎボランティア研修もしてます。忙しくて全然考えれてないけども( ;´・ω・`)
最近は英語とスペイン語の勉強も始めたし、ダイエットもして彼女も探さなきゃ。
そんなこんなで、2021年は日本で頑張ります!
これを読んで、モザンビークやボランティアに興味を持ってくれた方が1人でもいたら幸せです。
最後に、自分のモザンビークお気に入り写真を載せときます。
また気が向いたら書きますー。
それでは皆さん、お元気で!
(以上、踏切事故で実況見聞中の電車内からでした。はよ動いてー( ;∀;))
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ご挨拶 2020.07.06(月)
ぬぁぁぁぁぁぁ!
去年投稿したつもりの内容が、まさかの下書き保存で放置されてたぁぁぁぁぁ!!!!!!
※ここから先は、あくまで2020年7月に書かれたという体でお読みください( ・ω・)
こんばんは。
とてつもなくご無沙汰しております。
もはや自分自身ですら、このブログの存在を忘れかけていました( ゚ε゚;)
7月1日をもって、ボランティアの任期が終わりました。
3月21日に緊急避難で日本に帰ってきて約3ヶ月。
本来ならモザンビークで活動のクライマックスを迎えているはずが、毎日家の掃除をするという変わり身。
リビング、こんな感じでリフォームしました。夏帰国して汗だくで掃除するよりは良かった!(笑)
日本で3ヶ月を過ごし思ったこと。
- 水使い放題!お湯出るし、水道水飲めるとか神や!( *´艸`)
- 水汲みしなくていい!トイレの水がレバーやボタンだけで流せる!バケツ水で流さなくていい!!( ゚Д゚)
- 停電しない!スマホ使いたい放題!(* ̄∇ ̄*)
- ネット速っ!てかWi-Fiサクサクやん(*´▽`*)
- ご飯の種類多っ!!てかスーパーに調理済のお惣菜めちゃあるやん!オレ何のために料理してたんや( ;´・ω・`)
- 日本語通じる!!!言葉の細かいニュアンスまで分かる!!
- お店で価格交渉が不要!ひったくりの心配もない!(笑)
- 歩行者優先!皆信号ちゃんと守ってる( ゚ε゚;)
- コンビニ神!!!
と、よくある日本の良さを再実感(笑)
でもでも・・・
- 物価高ぇー
- てか物溢れすぎやん
- 特に服多すぎ
- スタバとユニクロ多いわー
- 電車内の学生うるせぇ。言葉が分かるから、周りの言葉を受け取れてしまう。モザンビークもうるさくて当たり前だったのに。
- 報道ネガティブ過ぎ
- 街中の市民と友達になれない。それどころか挨拶すらできない。人が遠い。
- 皆楽しい?幸せ?笑顔を見ない
- 多様性を感じない
日本にいた頃には感じなかった、日本のネガティブな印象も持つように。
なんかなー。人が遠いんだよなー。
職場・友達と待ち合わせ・ナンパ以外の人って、出会いもコミュニケーションも無く物のためだけに外出してるんかな?
遠慮や謙虚さは美徳やけど、なんか寂しいよー。
日本では現在ニートですが、やってみたいことは色々と。
- 色んな仕事体験(バイト、インターン)
- 父母、それぞれと2人旅
- モザンビーク再訪(卒業式行きたい)
- モザンビーク人を日本に招待
- 日本人をモザンビークに案内
- バーテンダー体験
- ホテルマン体験
- フードロスの減少
- 捨てられる服の活用
- ポルトガル語使った仕事
- 大人向け仕事体験の促進
- 自分の活動・モザンビークの紹介(母校、元職場など)
- モザンビーク・アフリカ製品の販売
- 日本にアフリカ文化を広げる
- 困ってる人・弱者を見捨てない
- 炊き出しボランティア
- 日本語ボランティア
多いな( ´_ゝ`)
最近アメリカ人に日本語ボランティア始めました。
ま、キャンセル相次いだ・他のバイト決まったので、一度会っただけでお別れになっちゃったけども(。>д<)
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さようならナマーシャ 2020.03.19(木)
ナマーシャで過ごす最後の1日。
今日まで1年8ヶ月、それが終わる。
朝6時前に仮眠から起床。
キレイな空やなー。
標高高くて空に近いのが良いところ。
裏庭。
隣と隣接してる。
洗濯物を干す紐よく切れたなー(ToT)
リビング。
本来一家族で暮らす家なので、めちゃ広々してたーおかげで運動できてた(*´∀`*)
ほぼ空っぽになった食料棚。
こんだけ余ってた食品は、昨日食べたり同僚にあげたり。
それでも余ったのは、後輩隊員に託すことに。
ちなみに酒は一本も残らず。
酒好きばっかやなー(^_^;)
外では生徒たちが掃除や朝ご飯。
4時から起きてるんやもんなー大変や(。>д<)
寝室。
電気消すと真っ暗。
蚊帳は適当。
でも寝心地良かった。
最後の朝飯。
少しでも消費してやろうと言うドケチ根性。
着替えて朝礼へ。
朝寒っ( ´△`)
朝の校舎。
国旗掲揚と国歌斉唱をして朝礼開始。
毎日生徒が2人くらいでてきて、色々と報告。
コロナの件、それに伴いオレが今日帰国することも伝えてる。
そのあと他の先生、教頭からも伝達。
教頭は、「制服は届いてるのに、まだ着てない生徒がなぜこんなにいるの?早く自分のサイズのを持ってって着なさい」
最終日にオレは何を聞いてるんだ(^_^;)
そして最後に生徒たちから、お別れのメッセージや歌。
それに合わせて一人の男子生徒が出てきた。
昨日おたふく仮面着けて号泣してた子や。
何かコメントがあったっぽいけど、今日も泣いてて結局ハグのみ。
全くー(笑)
でも、嬉しいで。ありがとう。
他にもカード(後から分かったけど、本人の結婚式のカード?)を渡してくれたり、他にも泣きながらハグに来てくれる女の子も。
そのあと生徒たちは歌いながら退場。
いつも通り我々先生たちの前を通っていくので、一人ずつ握手してお別れ。
時々泣いてハグしてくる生徒がいるので、列がたまに止まる。
こんなに泣いてくれる生徒がいるなんて、オレ幸せな先生やなー。
その後教室へ行き、昨日渡せなかったEクラスへ名札やボールペンをプレゼント。
これがラスト授業かー。
あっけないもんやなー。
でも皆、「もっと先生の授業受けたかった」・「Excelの授業やって!」と言ってくれて、本当に嬉しかった。
ポルトガル語なんかまだまともに話せてないのに、こうやって望まれるのは、自分がこのモザンビークの生徒たちの学びに貢献できたってことかなー。
一旦家に戻り、家政婦さんにも挨拶。
今日は水汲みも料理もいらない、掃除だけで良いって置き手紙残してたので、戸惑ってた様子の家政婦さん。
理由を話し、掃除だけをお願い。
家政婦さんとその赤ちゃん。
本当は6月末のお別れで渡す予定だったオモチャも、今日プレゼント。
それで遊んでるの見たかったなー(ToT)
掃除をお願いして、教室棟を散歩。
食堂で料理してた兄ちゃん。
チンチンにはまったらしく、いつも「チンチン」と挨拶してきてた。
清掃のお姉ちゃん。
同僚たち。
すると、同じく昨日家に招待できなかったGクラスがたまたま空いてたので、PCルームで同じくプレゼント。
あーーーこれが最後の集合写真やな。
生徒たちがいなくなったPCルーム。
寂しい。
カウンターパートが来たので、急いで色々引き継ぎ。
これもなー時間あれば丁寧に教えれたのに、ほぼ駆け足になっちゃった( ;´・ω・`)
多分理解しきれてないなーこれからトラブル起きたら、ちゃんと連絡してくるやろか( ;´・ω・`)
11:30になったので、銀行へ。
特例で待ってる人を抜かして窓口へ。
昨日飲んだ友達にお金の引き落としと口座閉めをお願い。
10万Mt(20万円)くらい残ってる。
でもこれをメティカル(Mt)でおろしても、日本帰ってから使えない。
でも明日フライト早いから空港の換金所は使えないし、でもドルはここには無いし・・・。
色々悩んだ結果、後輩に全てメティカルで預けて代わりに円をもらうことに。
助かったーありがとー(。>д<)
銀行の向かいの廃墟。
学校に戻り職員にも挨拶周り。
事務員の方々。
同僚たち。
引き続きカウンターパートに引き継ぎしようとしたら、「まずは間食だ!」と言われ、紅茶とパンを食べることに。
うん、ここはやっぱりモザンビークだ。
でも最後だし、こんなんもなんか微笑ましくなるわ(怒るべきやろか?( ;´・ω・`))
結局引き継ぎはできず、今から用事があるからと出ることに。
あーこのPCルームともお別れ。
基本的にずっとここで働いてたなー。
村中停電になっても、ここには蓄電機があるから本当に助かった。
さて、外に連れて行かれると外で同僚たちが待ってた。
なんと急遽お別れ会を催してくれたらしい。
えーーーーーーありがとう!!!( ;∀;)
モザンビークでは一般的に、出ていく人間(自分)が感謝の意を示すため、ご飯や酒を用意してお別れ会を主催する。
でも、まさかモザンビーク人が会を開いてくれるなんて夢にも思ってなかった。
見た瞬間泣きそうに。
でも泣き出したら止まらなくなるので、つい我慢しちゃった。
同僚数人から挨拶があり、オレも挨拶。
「みんな、今日まで本当にありがとう。いやーまさかこんな会を催してくれるなんて、びっくりした。
突然だけど、コロナウイルスのせいで急遽明日、日本に一時帰国することになっちゃった。本来は6月末までの予定だったんだけどね。いつ日本から戻って来られるかは分からない。残りの任期も少ないし、もう2度と戻って来られない可能性が高い。
・・・あー、まだ日本帰りたくないなー。まだまだナマーシャにいて皆と働きたいよ。
皆と働くのは、大変な時もあったし楽しい時もあった。 特に一部の先生は、
{元気ー?}
と聞いてきて、オレが
{元気だよー}
と返事するのも待たず、
{元気ー?なぁ酒あるか?}
(ここで皆爆笑。思い当たる節があるんやな)
・・・ウチはバーじゃねぇんだよ!(#゚Д゚)
他にも、いつも仕事大量に投げつけてくるのもムカついたわー(笑)
でも、明るくていつも笑顔で、いつも優しい皆のことが大好きだった。
あー帰りたくねぇ。ごめんね、最後まで色々教えてあげたかったのに出来なくて。
今まで本当にありがとう。元気でね。」
以上で挨拶終了。
しんみりな挨拶にしようかと思ったけど、やっぱいつも通りがいいなーと思い、酒飲みに来た下りを入れて笑い版にしてみた。
すると、なんとカプラナのプレゼント。
そして、シスターからはモザンビークの形をした木彫りのプレゼントも。
お前ら優しいなぁ。
なんで日頃からこの優しさをもっと出せへんねん(。>д<)
ドリンクと軽食を食べつつ談笑。
でもあと30分でナマーシャを出なきゃいけない。
・・・時間足りねえよ。
皆にお別れを告げ一旦家へ。
家へ向け歩いてると、男子生徒がお別れを言いに来てくれた。
ありがとう(。>д<)
家に帰ると、家政婦さんが待っててくれた。
溜め込んでた水。
いつも家政婦さんが汲んでくれてた。
ちょいとゴミ捨て。
生徒もみんな、この穴にお構い無しでゴミ投下。
深くて落ちたら登れないから、夜真っ暗な中でのゴミ捨てはいつもヒヤヒヤだった。
家へ戻る道。
すると、家の前で子どもたちが待ち構えてた。
家政婦さんに好きな物を持ってってもらってたら、施設の同僚も色々持ち出し始めた。
ほぼ空っぽになった家。
家政婦さんともお別れ。
頭にプレゼントした物を乗せ、背中に赤ちゃんを背負ってる。
今までありがとう。
出産前日・出産2日後も普通に働いてたし。
重い水汲みもありがとう。買い物や料理もしてくれたお蔭で、オレは活動に集中できた。
お釣を多少くすねられてた気はするけど、まぁいいや(笑)
赤ちゃんや手伝いに来てた長男と、家政婦さん邸で遊びたかったなぁ。
子どもたちともお別れ。
もう一回鬼ごっこ・回してーなど、まだまだ遊びたいらしい。
授業で疲れてたり気分落ち込んでたりしても、この子たちが明るく駆け寄って来てくれたからオレも元気になれた。
オレももっと遊びたかったなー。
テレビゲームも体験させてあげたかった。
2時間後までに首都に着いて、JICAの帰国ミーティングに参加しなきゃいけない。
休暇中のカウンターパートが車で送ってってくれることに。
沢山のバックを詰め込み、皆とも本当にお別れ。
バイバイ、子どもたち。
校舎ともお別れ。
学校近くの教会。
5月の巡礼祭見たかったなぁ。
村の一番の大通り、
高い建物が無くて青空が映える、好きな景色だった。
5分も走ればもう村を出てこんな景色に。
なかなか日本人が知らない、めちゃくちゃ見晴らしの良い場所。
カウンターパートのエガちゃんとお話しつつ、こんな景色の中を2時間ほど。
途中、ナマーシャの水の工場へ。
Tシャツを買いたかったけど、残念ながらここは水製造のみということで門前払い。
残念(。>д<)
道中炭を買うと言い出したエガちゃん。
同じく道中の中学校。
見晴らしは良いけど、通うの大変そうやなー。
丁度中間地点にある、キリンのモニュメント。
ここからナマーシャは45分。
途中、昨日の寝不足もあり軽くうたた寝。
ごめんエガちゃん( ;´・ω・`)
10分ほど遅れてドミトリーに到着。
ちょっとお話して、エガちゃんともお別れ。
2年間、本当にありがとう。
言葉が分からなかったりペースが合わなかったりで、思わず怒ってしまうことも何度もあった。
特に1年目の卒業式は確認不足で、当日怒鳴ってまったことも。
あと成績処理のシーズンもイライラしてたなー。
でも、決して引きずらず、翌日には元気に接してくれた。
その切り替えの早さ・感情を引きずらないのは本当に凄いし心強かった。
家にも招待してもらったし、教室で2人で卓球したこともあったなー。
日本のビールやウィスキーも一緒に飲んだし、寿司も食いに行ったなー。
エガちゃん、今までありがとう。
日本にも来てね、案内するから。
ドミトリーで帰国についての案内。
来週のフライト予定がキャンセルになり、急遽明日に。
前後隊含め3グループに分かれて帰国することに。
Mtをドルやユーロに替えられないか、換金所をいくつか巡ってみる。
すると、ナマーシャで出会ったアメリカボランティアの男性と遭遇。
・・・漂流してたのか?(笑)
アメリカも帰国することになったらしい。
ホンマ、コロナのせいで大変やわ。
そのあとはお土産を急いで買えるだけ購入。
(これは翌日空港などで買ったのも含む)
そのあとは隊員と最後の晩餐。
時間もないのでタイ料理へ。
そのあとは荷造りし直して、何とか1個23kg以内に。
気づけばもう深夜2時。
っと、こんな感じでバタバタなままナマーシャ最終日は終了。
あーあ、なんかあっけなかったなー。
やりきったって感じが足りないんだよなーやっぱ。
あと別れが急過ぎて、別れを惜しんでる暇もなかったからなー。
でも、本当に良い場所と良い人たちだった。
だからこそ、もっとちゃんとお別れしたかったなー。
一応、あくまで帰国は一時的って措置らしいけど、この流行っぷり・任期は6月末までって考えたら、もうモザンビークに戻るのはきっと厳しいんだろうなー。
何とか戻りたい。
ダメでも、12月の卒業式は顔出したいなー。
さ、明日はモザンビーク出国や!
(あくまで当日書いてるスタンスです)